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恭仁京・海住山寺・浄瑠璃寺・岩船寺・酬恩庵 一休寺(企業・イベント等紹介)

けいはんな学研都市立地企業、スマートシティ関連企業、けいはんな学研都市付近で開催されるイベント・史跡等を紹介するページです。

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平安京より古い都があったり、国内唯一現存伽藍があったり、一休さんが活躍したり!

(2024年5月7日、文化学術研究都市推進課 足利)

けいはんな周辺の文化資産動画
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「けいはんな学研都市」の周辺は、平安京より古い都があったり、平安後期の伽藍で国内唯一現存していたり、一休さんが活躍したりと、日本の文化・社会基盤の礎を築いてきた地域なのです。その一端をご紹介します。

平安京より古く、日本の文化・社会基盤を築いた「恭仁京」

恭仁京動画
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「けいはんな学研都市」の東端に隣接する地にあった「恭仁京」(くにきょう/木津川市加茂町瓶原(ミカノハラ))(外部リンク)は、「平安京」よりも古く、740年に置かれ、わずか3年強の間に「墾田永年私財法」を定め、「国分寺建立の詔」や「大仏造立の詔」を打ち出すなど、日本の文化・社会の基盤を築いた地です。

恭仁京の碑 恭仁京説明

恭仁京北面、観音浄土の如く「海住山寺」

海住山寺動画
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その恭仁京の北側に連なる山中に位置する海住山寺(かいじゅうせんじ/木津川市)(外部リンク)の創建は、恭仁京造営に先立つ735年、観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まると言われています。(観音または観世音:悟りに到達した「仏」の一人(「釈迦」以外は空想上の仏)、菩薩:悟りを求めて修行する姿)

のちに、恭仁京のあった瓶原から連なる山並みが、あたかも観音様の浄土である南海の洋上にある補陀洛山の如くであることから、海住山寺と名付けられたと思われるとのことです。(浄土:煩悩から解き放たれた仏の住む世界)

五重塔

浄瑠璃伽藍と九体阿弥陀堂が国内唯一現存する「浄瑠璃寺」

浄瑠璃寺動画
動画(外部リンク)

海住山寺の山肌から、恭仁京、木津川を超えて南面する山中、奈良県との境に位置するのが浄瑠璃寺(木津川市)(外部リンク)

古い寺院の金堂などは南面が原則ですが、平安時代中期から、平等院のように、池の西方に阿弥陀如来(阿弥陀堂)を祀る型が出てきました。浄瑠璃寺は、平安時代後期に日本で生まれた「浄土式伽藍」、すなわち、池を中央に、西方に極楽浄土の阿弥陀如来(本堂)を、東方に浄瑠璃浄土の薬師如来(三重塔)を、それぞれ配置した伽藍が完全な形で現存する唯一のお寺です。(薬師:過去世から送り出してくれる仏、阿弥陀:理想の未来にいて衆生を迎えてくれる仏、如来:悟りを開いた姿)

三重塔 道しるべ 阿弥陀堂

しかも、平安時代には、京都を中心にして30か所ほど「九体阿弥陀堂」が造られたと云われますが、現存しているのは浄瑠璃寺だけなのです。

浄土信仰の霊地「岩船寺」

岩船寺動画
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浄瑠璃寺と同じく、「当尾(とうの)京都府歴史的自然環境保全地域」に存するのが、岩船寺(がんせんじ/木津川市)(外部リンク)。この地域は、平安時代後期から室町時代にかけて、浄土信仰の霊地として栄えました。

山門 三重塔 三重塔一階

酬恩庵 一休寺

一休さんイラスト子供の一休さんトラの絵
動画(外部リンク)

そして、「けいはんな学研都市」の北端に隣接する地には、あの「一休さん」のお寺、酬恩庵 一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ/京田辺市)(外部リンク)

お墓表札 一休さんのお墓 方丈からの眺め

後小松天皇あるいは足利義満の血を引くとも言われ、室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧・一休宗純ゆかりのお寺です。

一休像 ユニークな仏像 本堂

 

 

お問い合わせ

商工労働観光部文化学術研究都市推進課

京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町

ファックス:075-414-4842

bunkaga@pref.kyoto.lg.jp

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